2021年01月13日

徒然なるままに(Part4) 遅い新年挨拶



2021年、おめでとうございます・・

〜と言うには遅すぎますが、とにかく2021年を迎えられました。
昨年はCovid-19で何も出来ずに終わった一年でした。
世界的な交流はできませんでしたが、地元探索が出来た、ある意味
身近な新鮮発見も多い年になりました。

とりあえずは、日常で注意しながらの生活が、まだ続きますが・・。
今年こそ、通常の行動が出来るようになることを願って止みません。

さて・・・1997年初のDrakensberg Boys Choir話題に戻ります。

コンサート前日 どうやら新潟入りしていたらしく、偶然 帰宅途中 バス待ちを
していると、白人 黒人、大きい子、オチビちゃん大小の少年達が 半袖 半ズボン 
ホーキンスサンダルでペタペタと歩いて来たのです。

あれあれ「君たち南アフリカから?」と尋ねると待ってました!!️とばかりに
「うんうん そうだよ」とワラワラと集まってきた。

明日コンサート行くよ〜と言うと 皆目をキラキラ輝かせ
「うれしいな。楽しんでね」と。
うん、じゃあね〜と私は少年達の迫力に圧倒されつつ、サヨナラしました。

まだ、どんな歌声か未知の時。
さほど期待もせず、当日コンサートに臨みました。

コンサート当日 自由席だったので、少し前にホールに到着。
既に10人以上の皆様が並んで待っておられました。

「今日は待つ人がやけに少ないね。○○(演歌歌手)の時は ずうっと大勢が待ってたのに」
と不思議そうに、そして「今日の公演は何だっけ?」と談笑されていました。

南アフリカの合唱団のコンサートだよぉ〜。

知らないで来たの?とちょっとビビッてしまったけれど。

それでもコンサート会場は ほぼ満席。
正直、名声のない少年合唱団が満席になることに驚きつつ・・・でもほっとした。
昨日のあっけらかんとした元気坊やたちが大勢の観客がいることを喜ぶだろうな
ってね。

そして少年達がステージに登場、整列。

昨日の黒Tシャツに半ズボンの少年達、コンサート衣装にジャボ(赤ちゃんのよだれ掛け
のようなヒラヒラ)でニコニコ笑顔です。

さてさて モーツァルトから始まった歌声〜。

第一声は「面白い〜」
だって クラシックなのに体ゆらゆら、リズミカルににこやかに歌うんですもの。
「わ〜何、これ?」
びっくりしつつ、楽しそうに歌う子ども達に、こちらもハッピーになりました。

ちょっと後ろを振り返ると2階に
「Welcome ! Drakensberg Boys Choir」と大きな大きな横断幕を揺すっていた。
ちょうどサッカー応援の横断幕。

何だか違和感があったけれど、コンサートが面白くて(?)それどころ
じゃなかった。

とにかく、ソプラノから低音部、ソロの出来る子が多いと感じました。
気取りのない、普通の印象なのに、歌声は実は「圧巻」だった。


(これは私の新潟初コンサートではありません・・音も画像も悪くてすみません)

コンサートは楽しくて、すごかった。
感動しましたとか、心に響く・・とか、そういう感想でなく「新感覚」でした。

『アフリカ音楽』は歌う・・踊る・・ガンブーツダンスする。
床が壊れるよ!って程にドスンドスンと足を踏み鳴らす。

なんだか、ロックコンサートのような終わり方。
思わず、ブラボーとかキャーと叫びたくなった。

ちょっとボーッとしながらも、コンサート終了!!

楽しかった!感激云々でなく、こんなに楽しい少年合唱団は始めてでした。

さて・・・コンサートが終わった。楽しかったなぁ!
ルンルン気分で、知り合いの車の停めてある駐車場に向かいました。

7月の蒸し暑い夜でした。
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2020年12月22日

徒然なるままに(Part3) 続く想いと憧れ



ウィーンで音楽に目覚め・・・・

中学生で海外文通をはじめ、いくつもの国に文通友達ができましたが、
自分から投げ出すようなことはありませんでした。

殆どのペンフレンドと長く続きました。
今も続いている方が何人もおります。

しかし、不思議なことに「海外に行きたい」「ウィーンに行きたい」
という想いはあっても外国住まいをしたいとは思わなかった。

親しく手紙を送ってくる方もあって、ウィーンでもお会いしましたが
私、やっぱり日本が好きなんでしょうね。

結婚も平凡に地元で!


ウィーン少年合唱団も、当時人気がありつつも、来日メンバーに
必ず友達ができ、それは2000年まで続きました。


そう、結婚して、母親になっても、当時は地元にも必ずコンサートが
あったので、2年に一回(当時は3年、その後2年毎の来日ツアーでした)
コンサートに出かけていました。

家族全員でコンサートを聴きに行ったこともあります。

娘や息子も、同じ年齢のウィーンの団員と文通したり(というか
させたり?)家族を巻き込んでいた(?)

娘を気に入って、滞在中にも手紙をよこす団員もいたのですが、娘は
ペンフレンドが出来ても、とてもクール。
彼女も合唱部に入っていたのですが・・・。

娘は2代目、ウィーンファンにはなりませんでした。


そんな状況が ずっと続き・・・


平凡な中に、ポッと音楽の癒しがある生活。
多忙な子育ての中に、若い頃の想いが蘇る、僅かな貴重な時間。

残念ながら、徐々に、地方都市にはコンサートがなくなって、今じゃ
「ウィーン少年合唱団」コンサートも、忘れた頃にちょっと小さな市に
コンサートがあるくらい。ほぼありません!


人生の中で、転換期があるとしたら・・・
幼少期から、学生時代・仕事・結婚出産・・そういう変化で進むと思います。

私は「仕事に生きたい」とか思うわけでもなく、平凡を願う人間。

でも、欲張りだから、その生活の中に、趣味と言うか、好きなことを続けて
きたい。そしてそれを実行できたことは有り難いと思います。

少女時代、憧れを持っても、大人になると「想い出」になってしまう方も
多い中、私は平凡な日常の一部で「継続」していました。


さて・・・・そんなヨーロッパ・ウィーンに浸かっていた私が1997年に
偶然、新潟市でコンサートがあった南アフリカからの「ドラケンスバーグ少年合唱団」
を聴く機会があったのです。

当時・・・「新潟に来るのね。まっ行ってみようか!」という軽い気持ち
で友人とコンサートに臨んだのです。

そこから、方向転換した?「音楽人生」が始まりました。

度肝を抜かれた、びっくり仰天な「コンサート」

仰け反りそうになったドラケンスバーグ少年合唱団でした。

モーツァルトやバッハを歌うドラケンスバーグの少年たちの第一声を聴いて
友人と顔を見合わせ一言。

「おもしろ〜い」だったの。


1977年当時、来日メンバーだったラルフ・シュミット(当時から大柄な少年でした)
彼が今率いるユースクワイア。

南アフリカ・リンポポ州の「Ndlovu Youth Choir」




こちらはクリスマスバージョン




少年合唱団ではありませんが、圧巻です。

決して、音楽の素養のある若者を集めた合唱団ではありません。

貧しい地域の貧しい若者たちに、音楽を通した「幸せ」を与えてくれる
ラルフ・シュミット。

本当に素晴らしい指導者になられたと感動です!!

南アフリカは、飾り気のない、この素の「歌声」が魅力だと思います。

次に南アフリカに行くことができたら、この合唱団の歌声も聴きたい
と願っています。



さて、そんな南アフリカ「ドラケンスバーグ少年合唱団」との出会いに
ついては、次にね
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2020年12月05日

徒然なるままに(Part2) 音楽への目覚め


音楽への目覚め


子ども時代、平凡だった私が世界に目を向けられたのはウィーン少年合唱団との
出逢い。

でも、その前に、まだ音楽なども未知だった頃、母とディズニーの映画を見に
行きました。下記の2本立て・・・。

「3匹荒野を行く」「ウィーンの森の物語(J.シュトラウスの映画)」







動物の映画は面白かったのですが、それよりも「シュトラウスの生涯」の
映画の中の音楽に目が輝いた。

早速、帰りに「萬松堂書店 」〜レコード店ではなく、本屋さんで
シュトラウスの生涯や音楽の紹介とソノシートがセットになったもの
を買ってもらいました。

ワルツやいろんな音楽の中でも「春の声」が大好きになったのです。

実は、ウィーン少年合唱団は、まだそれほど強い思いはない時期。
それでも、NHKの「歌のメリーゴーランド」「みんなの歌」を観ていました。



私は、ボーっと見ていただけですが・・・どうやら「わんぱくマーチ」
のソリスト 東京放送児童合唱団 岩崎進くんが注目されていた模様。

私の中では「みんなの歌」で放送された「勇気の歌」西六郷少年少女合唱団の
歌が心に留まっていました。




まだ海外にそれほど強い憧れのない時代・・でも、その「子ども番組」
に海外からの少年少女合唱団が、ゲスト出演し、少女雑誌でも取り上げられ
始めていました。


そして、ちょっとしたことでウィーン少年合唱団に目覚めたのです。

その頃は、毎回少女雑誌にも取り上げられていたこともあり、クラスの
女子の多くが芸能人話題をするようにウィーンの話題に花を咲かせて
いました。

しかし・・・
その想いを持続する人は少なく、その後はグループサウンズや
ジャニーズ系音楽へ関心が移っていく女子。当然ですよね。

私?私は、そのまま、密かにずっと同じ気持ち・・

でも、流行の流れには、逆らえず、友人の話題にはついていくように
しました・・・でも、気持ちは全く変わらなかった。

始めて購入したレコードはEP盤(小さいレコード)
その年のクリスマスには、LPレコードを買ってもらいました。

レコードだけで満足していましたが・・・
中学を卒業して、高校生になって、始めてウィーン少年合唱団の生歌を
聴き、まずます傾倒していきました。


団員から手紙をもらったのもその頃。

お母様から「来日している息子と会ってください」という伝言も頂き、主催者
にそれを伝えると、コンサート後「楽屋」で会うこともできた。

ただし・・・お母様の手紙は、ドイツ語。
ドイツ語の読み難いくせ字に、勿論、ドイツ語なんぞ、習ったことがないですし
その手紙を訳して下さる人もなし。

幸い、父の会社の方がドイツに短期留学されていたので、ドイツ語の辞書を
頂いていた。 
その辞書を手に、一文字、一文字 そのドイツ語の手紙を訳しました。

今じゃ投げ出してしまうだろうに・・・あの時は必死だったんですねぇ。


そんなこんなで・・・
何も出来なかった野暮テンの小心者の私が、日常の中学高校時代のクラス仲間
の友人だけでなく、その頃は既に海外の友人との交流を始めていました。

中学時代、イタリア映画からフィレンツェに関心を抱き、同年の女の子の
ペンフレンドを持ち、オーストリアのクラシック好きな高校生との文通
も始めました。


そこから色々な出逢いと、アップデートがありました。

純粋に好きな音楽を愛でつつ 海外に目を向け 友だちが出来、そこから
南アフリカへと進んでいったのですが・・・

しばらくはヨーロッパ、オーストラリア、ポーランド等の時代が続きました。


さて・・・私生活は野暮ったい自信のない女子生徒のわたくし。

中学時代の担任の先生・・・
受験で皆が辛い時、こんな言葉をかけてくれました。

「キミたちは今 暗いトンネルの中にいるんだ。
明るい出口は必ずある。トンネルを過ぎて、明るい
出口を目指そう」


そして、卒業の時に私にサインしてくださった言葉です。


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ずっとお会いしていませんでしたが、昨年再会する機会を持ち、あらためて
その時代を思い起こしています。
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